タイで活動中の菅原OTはなぜ協力隊を志したのですか?

『กลับบ้านเมื่อไร มาใหม่ใช่ไหม(グラップバーンムアライ?マーマイチャイマイ?)』【いつ帰るの?また来るんでしょ?】任期の4分の3が過ぎようとしている最近は配属先の方、地域の方々からこのように言われることが多くなってきました。

改めまして『สวัสดีค่ะ(サワディーカー)』【こんにちは】美人の産地タイ・ラーチャブリー県ポタラーム郡より菅原万喜がお届けいたします。

はじめまして!

お久しぶりです!

どうぞよろしくお願いいたします。

 

私は、宮城県生まれで宮城県育ち。大学・社会人生活も宮城県で過ごしました。現在はタイの首都バンコクから西に100キロ、ラーチャブリー県ポタラーム郡のポタラーム病院にて主に地域の高齢者の作業療法に携わっております。

 

はじめは・・・

言葉が通じない。

タイの文化に馴染めない。

タイ米が食べれない。

すぐににイライラする。

小さなことですぐにネガティブになり、辛い日々。

 

現在は・・・

どれもこれも適度に折り合いをつけれるようになり普通の毎日を過ごしております。

1年半の月日で自分自身が良くも悪くも変化しているのがわかります。

 

そんな中。。。

《なぜ協力隊へ?現実の世界は思い描いていたものですか?》

というテーマで発展途上国リハビリレポーターの執筆のご依頼をいただいたので、初心に戻り思い返してみます。

 

 

[なぜ?協力隊に???]

みなさまもご存知かと思いますが、私の故郷宮城県は3年前の東日本大震災でたくさんの被害を受けた地域のひとつです。

2011年3月11日金曜日。当時はどこにでもいる作業療法士として病院に勤務しておりました。この日のアフター5は友達と食事の約束をしており、ちょっとオシャレをして出勤。職場ではいつもと同じように患者様の治療を行っておりました。

そして14時46分。

大地震が私達を襲いました。

職場は山沿いのため、津波の被害はなかったものの、水もない。電気もない。ガスもない。トイレも電話も使えない。そして降りしきる雪。とにかく寒い。その時私ができたことは患者様に寄り添うことだけ。

そんな日々が続きました。

 

その後、情報網が復旧し、家族や大切な人と連絡がとれたのと同時期に日本各地のみならず、世界中からたくさんの物資や義援金、復旧作業のお手伝いのボランティアに来ていただいていたことを知りました。

遠い、とても遠い国から。

日本よりも毎日の生活が大変な国から。

毛布を使う機会があるの?という国から毛布の救援物資。

日本にはないおいしいお菓子も届きました。

ボランティアの方々の活動に対して心から感謝し、いつかボランティアとして世界の方々に恩返しをしたいと私は思いました。

 

【でも。。。私ができることは。。。?】

と考えた時。正直初めは海外で働くとこなど思いつきませんでした。これといった特技もないし、発想もなく。。。世界の方々への恩返しをしたいと、ぼんやりと思うだけでなかなか行動に移すことができませんでした。

 

ある日。。。

ふいにインターネットをしていた時に《青年海外協力隊 作業療法士》の記事を見つけました。その瞬間【これだ!!】とビビッときて、応募させていただいたのがきっかけです。

《健康で手に職があれば誰でも協力隊になれる》と、言う方もいらっしゃいますが、健康で作業療法士でなければ今、ここにいないと思います。

 

[現実の世界は思い描いていたものですか?]

いろんな巡り合わせがありこの時期にタイにて活動しております。インターネットがある時代なので、タイ隊員との情報交換はもちろん、世界中で活動している協力隊の同期や日本にいる家族や大切な人たちと連絡をとることができます。《言葉とか文化の違いで困ることはないの?》とよく聞かれますが、良くも悪くも困るのは初めだけ。配属先の方や地域の方々にも恵まれ楽しく過ごすことができております。未だに困っているのはパソコン操作と恋わずらい?でしょうか。。。日本での悩み事と同じです。

任期満了まであと半年。まだまだ恩返しが足りないので配属先の方、地域の方々のお手伝いをしたいと思います。本当は感謝の気持ちを伝えたくてボランティアに来たはずなのに、反対に感謝されることも多くあり嬉しく思います。

冒頭に記載させていただいたように《また来るんでしょ?》と言われ、後ろ髪引かれつつ日本に帰りたいものです。

 

[最後になりますが。。。]

現在も宮城県を初めとした東北の各地では避難生活を余儀なくされている方がいらっしゃいます。そんな中、大好きな宮城県を離れてタイでボランティアをしていることに後ろめたい気持ちもあります。

帰国後は社会還元!!ここまでが協力隊の役割だと私は思っております。

背中を押してくれた日本にいる家族や大切な人

何気ないメールのやりとりをしてくれる世界中の同期隊員

日頃たくさんの悩みを共有してくれるタイ隊員

いつもそばにいてくれる配属先の方、地域の方々

私を選んでくれたJICA関係者の皆様

私を支えてくれているすべての方々に感謝申し上げます。

 

読者の皆様、最後までごらんになっていただきありがとうございます。

私からの《なぜ協力隊へ?現実の世界は思い描いていたものですか?》が伝わりましたらとても幸いに思います。

 

それではこのへんで。。。

『ขอบคุณมากโชคดีนะค่ะ(コップンマーチョーックディーナカ)』

【ありがとうございました。幸運を祈ります!!】

第5回タイ菅原 第5回タイ菅原2

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