協力隊帰国後に病院に就職した水家PTの目標

2011~2013年にドミニカ共和国で活動していた水家です。青年海外協力隊は高校生の時からの夢でした。途上国の人たちに学ぶ機会を提供したいと思い、理学療法士(以下PT)になりました。PT養成校では知識・技術の基礎を徹底的に叩き込まれ、臨床に出てからは、それを軸にさらに研鑚してきました。

大学病院で4年間、幅広い疾患や治療を経験し、当時は「どんな患者が来ても対応できる」と自信をつけての協力隊応募でした。派遣が決まり、任国ではリハビリテーション病院に配属され、現地スタッフや実習生の指導・教育に尽力しました。日本では教えを乞いに東奔西走していた日々でしたので、逆に教える立場になり、やる気と不安が入り混じった心境でした。

不安の原因は何か…。途上国という環境? 否。生活に慣れてきても不安は解消されませんでした。言語? 否。仕事上の会話は専門用語を覚えてしまえば比較的楽でした。結局、自分の知識・技術の基礎―すなわち自分の軸―に不安があることに気づきました。学生時代に尊敬する偉大な先生方に、自分の理学療法の軸を立ててもらいました。その軸に自分はすがり付いて成長してきました。しかし、その軸がどのように立っているのかが分からないと言うことに、教える立場になり気が付きました。

協力隊に参加する前には、帰国後の進路に関して様々な思いを巡らせていましたが、現在は以前と同様、病院で働いています。進学も考えていましたが、今は、新たなことを学ぶ前に、今ある知識・技術の見直しが必要であると感じています。PTとして8年目になり、後進の指導も重要な仕事となってきました。自分の軸がどのように立っているのか、日々勉強しなければ、次の世代のPTを育てられません。

基本に立ち返り、自分の臨床を見直す中で、まだまだ新たな発見が続きます。発見の先にまた別の疑問が湧いてくるものですので、「どんな患者が来ても対応できる」PTには、きっと一生なれないかもしれません。しかし、一生成長し続けることができる、と換言することも可能だと思います。

「ボランティアとは自分を映す鏡」と言った方がいます。協力隊での経験を通して、自分の強み・弱みに気づき、臨床の奥深さを再認識しました。この事は、より良い治療を提供するための強い後押しにもなると思います。

日本を離れている間、周りに差をつけられるのではないかと心配していましたが、私は、臨床家としての厚みができたのではないかと今は考えています。

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