ガーナで活動中の米田さんはなぜ協力隊を志したのか?

Ndonami!(ンドナミ!)こんにちは。ガーナから理学療法士の米田がお届けいたします。

 

“どうして私は協力隊に参加したんだろう。”

 

通常任期の2年を経た今、延長期間5か月をより有意義に過ごすにあたり、ふと原点に立ち直って考える事が多くなりました。

 

大学生時代、日々アルバイトに明け暮れ、お金を貯めては、長期休みにアジアの発展途上国を一人で旅していました。経済的に自立していない大学生の分際で、ただの観光旅行をするのはとても気がひけ、“少し誰かのため・少し自己成長のため”になるような旅にしたいと思い、旅先ではホームスティ、また孤児院・高齢者センターでの短期ボランティアワークに参加するなど充実した学生時代でした。英語もろくに喋ることのできない私に、たくさんの現地の方が親切にしてくれ、助けてくれ、彼らとの交流を楽しむことができました。

しかし、短期間の滞在ではやはり物足りず、常に“自分は旅行者であり、それ以上現地の人々に近づくことができない。”“誰かのために何かをする、というレベルまで達していない。”といったジレンマにかられていました。

こういった一人旅を繰り返すうちに、“旅行者としてではなくもっと現地の人と一緒になって生活や仕事ができたら・・・その中で何か彼らの力になることができたら・・・”と海外、特に発展途上国で活動することに興味を持ち始めました。

 

大学卒業後、総合病院で理学療法士として勤務していましたが、就職2年目半ばから、“次に私がしたいことは何なんだろう?”と考えるようになりました。答えは自分でもなんとなくわかっていました。

“発展途上国でもっと現地の人に近づいて、彼らと一緒に彼らのために何かをしたい。”

自分の思いは明確だったので、あとは実現する方法。考えた結果、自分のやりたい事ができる一番近い手段かつ身近で堅実な手段だったのが“青年海外協力隊”でした。

 

日々の業務をこなしながら、協力隊に関してのリサーチ進め、(家族や職場への根回しも怠りなく)ようやく私が応募を決めた矢先、あの未曾有鵜の大震災、東日本大震災が発生しました。

 

非常に、応募を悩みました。

 

日本がこのとんでもない事態に見舞われている中、なぜ、わざわざ海外でボランティアを・・・・?自他ともに自然と浮かんでくる疑問です。

 

協力隊応募についてもんもんと悩んでいた震災後3か月後、ありがたいことに当時の職場内でJMAT(Japan Medical Association Team)日本医師会災害医療チーム派遣の募集がされたため、即応募し福島県相馬市へ支援活動として行かせてもらいました。

 

あの大震災の被害の一部を実際見、聞き、感じ、ほんの数日でしたがただ夢中で活動をした記憶があります。歯を食いしばりすぎて頭痛と頬筋が筋肉痛になりました。何もできない。そんな虚無感でいっぱいでした。

とても後ろめたい気持ちを引きずりながらもやはり、協力隊参加の思いを押しやることができず、応募を決め、運よく合格させてもらい、ガーナ派遣が決まりました。

 

ガーナ派遣決定に喜ぶ気持ちはあるものの、東北のことが頭から離れない。そこで退職後、個人的に宮城県へ支援活動に行きました。

 

もやもやしながらも、とにかく行動をしているうちに、出会った方々からこのような言葉をいただきました。

 

「今、こうやって、あなたはここ(被災地)にきている。実際、“私も行って何かお手伝いをしたい”と思っている人も多いはず。でもほとんどの人が、仕事のことや家庭のことお金のこと時間のこと、様々な事により実際に行くことができない。」

「私も被災地へ行きたいって思ったけど、結果的にいうと、行動力がなかった。だから、本当に限られた、色々な面で色々な壁をクリアしてきた・できた人が、(支援の)現場にいる。それが、海外となったら、もっと行ける人が限られる。そんな所へあなたは行こうとチャレンジしている。チャレンジすることさえ限られた人しかしないし、できない。だから、あなたは協力隊として海外へ行ったらいい。できる人ができる所へ行ったらいいと思う。東日本の支援は日本にいる、日本でできる人たちがする。」

 

非常に勇気をもらった言葉でした。前向きにガーナ派遣の準備をすることができるようになりました。

 

ガーナ派遣後からの2年は一瞬で過ぎ去りました。

私のガーナでの活動は思い描いていたよりずっと実務的で、想像以上に専門職者として必要とされていました。嬉しい驚きです。現在の配属先は過去にたくさんの外国人ボランティアを受け入れている経験もあり、スタッフ全員がとても外国人慣れしています。良くも悪くもガーナ人スタッフのなかで“ボランティア像”ができあがっているような印象でした。赴任当初から、想像以上にスタッフは協力的でしたが、実際活動を進めていくと、彼らの作り上げてきたボランティア像が邪魔をし、“ボランティアが何かをしてくれている。ありがたいね。”とただ第三者的に私の活動を見ているスタッフが多いことに気づきました。また配属先に医療職種が私以外誰もいないため余計にそのような傾向があったのだと思います。それでも、少しずつ障害児・障害者に近い立場のスタッフを巻き込み、“私が一方的にあなた達のために何かしているのではなく、一緒に仕事をしよう。”といったスタンスを貫いていきました。結果、正直なところ大きな変化はありませんが、数名のスタッフとはかなり近づいて仕事をすることができるようになりました。もっともっとガーナ人スタッフと一緒に何かをしてきたかったと心残りも少しありますが、想像以上に充実した、楽しい毎日です。想像の何倍にもおよぶ様々な事を経験させてもらっています。

 

“少し誰かのために。少し自分のために。”

実際、動いてみる。

自分と自分の半径1mくらい(片手をのばして届く範囲)のところからなら少し変えることができる。

 

そんな毎日です。

 

それでは今日はこの辺で。Meadogo!(メアドゴ!)さようなら!

第5回ガーナ米田 第5回ガーナ米田2

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