キルギスで活動中の水谷PTはなぜ協力隊を志したのですか?

Ден соолуңуз кандай?(でんそーるんぐぬず かんだい?)健康状態はいかがですか?キルギスから理学療法士の水谷がお届けいたします。

 

実は私は、たくさんのJICA関係者やJOCVの方々に育ててもらいました。両親をはじめ、生まれた時から、周りには日本を飛び出して国際協力に携わる勇者ばかり。物心ついた頃から、いつか自分も大人になったら青年海外協力隊の一員として途上国で働くんだ!と思い込んでいました。

そんな勝手な思い込みを現実のものとさせていただいたことは、これまた多くの方々のご理解とご支援によるものと、本当にありがたく思っています。

 

小さい頃は、Malawi隊員や事務所の方々に文字通り育ててもらい、Papua New Guinea隊員の方々に遊んでもらい、いたずらをして困らせていただけでした。中学生の頃に出会ったFiji隊員の方々には、真剣に将来のことを考えるキッカケを与えていただきました。当時は、憧れの存在でしかなく、少し遠い世界のお兄さん・お姉さんという感じでしたが。

 

日本の暮らしに複雑な気持ちを抱きつつも東京の帰国子女だけの高校に進学し、世界中から集う仲間と過ごすうち、協力隊の皆さんが世界のあちこちで現地の人々と共に暮らし・現地の人々のために活躍していることがどれだけカッコイイことか、改めて気付きました。そして、進路選択に際し「やはり自分は青年海外協力隊の一員として途上国に行き、日本とは大きな差がある医療の分野で力になりたい」と強く思い、恩師や父のアドバイスもあって理学療法士という職業を選びました。

 

埼玉県の大学になんとか入学し、『「障がいのあるひと=Challenged」のように、障害や困難を乗り越えるべく挑戦し、様々なハードルを乗り越え、さらに周りのChallengedの方々の力になれるよう勉学に励もう』という決意を表しました。落ちこぼれの私が4年で無事に卒業できたのは、いつも助けてくれた仲間や支えてくれた家族、そして「いつか途上国で…」という夢のおかげです。

 

就職先も、いずれは途上国に行って独りでも患者さんの役に立てるようになること、特に大好きな子ども達との関わりが持てること、を目標としてリハビリ専門の外来クリニックに決めました。入職の面接時から人事部長および院長に「何年か後にはJOCVへ!」と宣言し、5年間の修行を経て今こうして送り出してもらえたことは、感謝してもしきれません。

知識も技術も経験も、まだまだまだまだ不十分な私ですが、東京のクリニックで老若男女さまざまな疾患を抱えた方々と関わらせてもらったこと、生活期におけるゴール設定の考え方や自宅での生活にリハビリを取り入れてもらうという概念は、今ここで医療水準・制度の異なるキルギスの人々のために活動するに際し、多いに役立っていると思います。

 

実際にキルギスに来て、第一希望だった配属先の小児病院を初めて訪れたときは、なんともいえない気持ちでした。事前に教えてもらっていたこと、想像していたこと、現実に目の前に起きていること…なかなか整理ができませんでした。医療職種のJOCVが派遣されている国々の中では、かなり質の高い施設であり、衛生状態も他国と比較したらとても良いといえます。それでも、日本との違いに多少なりともショックを受けたのも事実です。

リハビリ関連の専門職がいないことは何度も書かせてもらっていますが、物理療法を中心とした理学療法部門の運営方法やマッサージ師の仕事ぶりに、やはり色々と複雑な感情になりました。治療のためとはいえ、なぜ子ども達が泣き叫ばなければならないのでしょう。

 

私たち日本人ボランティアがひとりひとりの子どもと向き合い、まず信頼関係を築きながら治療的介入を行う様子を見て『子どもを褒めて伸ばし、手取り足取り関わる必要がある』と肯定的に捉えてくれる保護者や同僚もいます。しかし、それを実際に取り入れようとしてくれるキルギス人はというと…制度が違う、職種が違う、感覚が違う(文化・風習)と言われ、まだまだ前途多難です。

 

それでは今日はこの辺で。Саламатта болгула!(さらまったーぼるぐら!)お元気で!

みずたに①「OT-PT roomにて、複数の親子と」 みずたに②「治療体操室にて、学齢期の子ども達と」

 

 

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