青年海外協力隊は果たして誰に求められているのか?エクアドル北林理学療法士

Como estan?(コモ エスタン?)こんにちは。エクアドルから理学療法士の北林がお届けいたします。

言葉の壁

言葉の壁は厚く、今も私の前にそびえたちます。西語よりも、わかっているフリや、それっぽい相槌のほうがうまくなってしまいました。それでも気持ちというものは言葉を超えて伝わるものですよね。

誰にも言えることと思いますが、ボランティアは求められているとは限りません。私たちが夢見たほどには、その技術を待ち望まれたり、活動に期待されていないことも多いはずです。

そんななかで、私たちは何をやろうか、何ができるだろうかと模索したり、あるいはなんのためにここにきたのだろうかと苦悩したりしながら、もんもんと過ごす時期もあるのではないでしょうか。

私も、ここまで葛藤や苛立ちがありながらも、配属先や同僚の理解でなんとか平穏にやってこられました。しかし平和すぎる町と、ありあまる時間は、辟易するほど自分を見つめさせます。

私はPTに向いてるのかな、ここでなにしてるんだろう、なにがやりたいんだろう。

悶々としながらも残り一年を切ったころ、その患者に出会いました。

1人の患者との出会い

彼は、22歳になったばかりの男の子で、写真の通りとても男前です。ある日、仲間とお酒を飲んでいて、階段から落ちて首を骨折。胸から下が動かなくなりました(C6頸髄損傷・完全麻痺)。

最初のリハは、まだ事故から一か月も経っていない頃でした。自宅の普通のベッドに寝かされ、体位交換もされず、いたるところに床ずれがありました。介護サービスなんて何もなく、年頃の兄妹におむつを替えられる日々。本人にも、家族にも計り知れないストレスがありました。

ここにはリハビリ病院というものがわずかしかなく、膨大なお金といろいろな条件が必要です。田舎に住み、片親の彼には到底無理な話であり、手術後1週間で自宅での寝たきり生活を強いられたのでした。

私は悩みました。電動ベッドも車いすもない。そもそも家も町も坂だらけの段差だらけ、むしろ未舗装。どうする?しかも頚損診たことない。でも私しかいない。どうしよう。

おぞましい重圧に苛まれながらも、なんとか彼とマンツーマンでリハビリを続けていたある日、彼は自分の人生について語り始めました。

聞くに、幼少期には父親から虐待を受け、幼いうちに両親は離婚。婚約者は、彼女の父親の暴力に絶望し、おなかに子供を宿したまま自殺。シェフになる夢を母親の希望で諦め、暴力が苦手ながら警察の道へ進もうとしていた矢先の事故だったそうです。

そして、こう続けました。

「僕の人生は痛みに満ちているけれど、幸運にも満ちている。ありがとう、君のおかげで僕は毎日良くなっている」と。

日常の幸運に気付き寄り添う

こんな人生を与えられながら、嘘でもこう言える人間が、果たしてどれだけいるでしょうか。私たちはいつも、目の前のささいなことに悲観したり自棄になったり、いかに幸運か、恵まれているか、実感できないことが多いです。忙しい毎日では、仕方がないかもしれません。飢餓で死んでいく世界のどこかの子供のことよりも、明日のプレゼンのほうが心配です。

でもここに、目の前に、一度も泣いたり絶望する姿を見せず、リハの終わりに必ずありがとうと言える男の子がいます。

吐き気を催すほどのプレッシャーと同時に、理学療法士としてここにきてよかったという感慨。

何をしにここにやってきたのか、何のために理学療法士になり、続けてきたのか。

その答えが見つかったような気がしました。

それでは今日はこの辺で。Tengan cuidado.(テンガン クイダード)どうぞ皆様ご自愛ください。

エクアドル2 1エクアドル

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