アフリカの地で青年海外協力隊として2年間活動し得たことは?“タンザニア辰巳理学療法士”
アフリカのタンザニアという国で、JICAボランティア、青年海外協力隊の2年間をどのように過ごしたのでしょうか?理学療法士として活動した辰巳さんがブログをお届けします。
Mambo!(マンボ!) みなさん、こんにちは。
理学療法士の辰巳が、タンザニアでの2年1ヶ月の活動についてお伝えさせて頂きます。
配属先の病院紹介
私は、2013年1月〜2015年2月まで、東アフリカに位置するタンザニアの中央部に位置するドドマ州の州立病院で理学療法士として活動していました。
配属された病院は、村の診療所では対応困難な患者さんも訪れてくる総合病院です。そして、理学療法科の対象患者は脳卒中患者や高エネルギー外傷、頚椎/腰痛症が中心となります。
州の中心的な病院なのですが、病棟は未舗装の土地に不規則に並び、段差や穴凹等々、多くの患者さんは介助がなければ移動が困難な構造で、環境としてはまだまだ満足とは言い難い状況でした。また、病棟内部にしても、廊下をネコが走っていたり、ヤギが迷い込んできたり、小脇に鶏を抱えたお見舞いの人が居たりと、なかなか大胆な環境でした(笑)
職場の紹介
この病院で、私が配属された理学療法科は二部屋に別れた一棟の構造でした。
治療ベッドが4台、マットレスが2枚に、壁際にギリギリに設置された平行棒が主な治療スペースです。毎日の取り組みは、主に患者への理学療法の施行でした。
業務時間:月曜~金曜 AM7:30~PM3:30
AM7:30~ 始業準備
AM8:00~PM1:00:外来患者(約30〜40人/日)
PM1:00~PM2:00:休憩 書類作成/管理
PM2:00~PM3:30:入院患者(約3〜5人/日)、片付け
というのが大体の一日の流れです。
複数の患者さんが同時期にプログラムを進行するには建物は手狭で、窓にはガラスが入っていない為、風と共に砂埃が舞い込んで来ます。トタン板の屋根はタンザニアの強い日差しで熱され、日中の室内は最高に暑くなります。また、消耗品や検査機器の物質的不足は他の途上国同様に存在し、検査や手術自体の技術も充分とは言い難い状況下で患者診療を行います。なので、赴任当初は戸惑う事も多かったです。
赴任当初の気付きと覚悟・・・
赴任からしばらくは、ままならないスワヒリ語での診療に悪戦苦闘しました。なんとかかんとか働くなかで、タンザニアでの業務で日本の理学療法業務との大きな違いがある事に気が付きました。それは、単純に理学療法のオーダー以外に、現地の医師では対応が困難な症例のフォロー先として理学療法科に依頼が来ている事でした。当然、日本の医療現場では診断の補助として機能する事はあっても、理学療法士が診断、治療方針の決断を下す事はありません。そのため、日本での経験も然程長い訳でもない自分にとって、求められている業務の責任の重さに気負いしました。
ですが、現状は自分や同僚の理学療法士と一般医師を比較しても、多種多様な疾患とそのリスク管理に精通している理学療法士の方が、症状に対する総合的な解釈能力に長けているケースが多い実態でした。
自分にどこまで出来るのかという葛藤も有りましたが、その状況でも知識と経験に裏打ちされた自信を持って診療に臨む同僚理学療法士の姿勢を見て、この国での理学療法士に求められている働きの重要さ、他科の医師同様にドクターと呼ばれる理由を実感し、自分も持てる知識で出来る範囲は全てフォローしようと覚悟を決めました。
赴任半ば〜
覚悟を決めて業務に臨み始めてからは、問診と身体所見から総合診療的な役割を重視して取り組むようになりました。運動療法だけでなく、レントゲンや処方薬のオーダー、先天性疾患へのギプス矯正、他科または他院の紹介、術後安静度の指示、自己管理方法の指導、医師の診療補助、時には治療方針の提案等々を積極的に実行しました。日本では負う事のない領域までの責任感を負った活動は、自分の診療に一層の評価の客観性と正確性を求められ、自分のスキルアップを余儀なくされました。
そうして活動して行くなかで、日々の必死さが伝わったのか、おかげで多くの患者さんが得体の知れない外国人である自分を頼りにして通ってくれるようになりました。結果、より一層身の引き締まる想いで業務に取り組む事が出来ました。
活動終盤/敬う心と責任感との葛藤
たくさんの業務を担い取り組む中で、それだけたくさんの病院職員と関わる頻度が増えて行きました。同僚と患者さんの状態や治療方針を話し合う事でお互いの理解が深まり、同僚からの信頼も得られた事で、提供するサービスも少しずつですが改善していけました。
ですがその反面、現地のスタッフを尊重しないといけないと思いつつも、責任感から同僚に強く意見してしまう事もありました。そのせいで同世代の理学療法士や看護師さんと険悪な関係になった事もありました。それからは、自分は現地のスタッフにとって、口煩くて難しい存在だろうと感じる事もありました。医療を提供する身であり外国から来た人間としての立場で、尊重するべき部分と譲れない部分という課題において、失敗と反省、挑戦や観察、葛藤や失意、前進や停滞を繰り返しているうちに、あっという間に時が過ぎていったように思います。そんな中でも、常により良い医療サービスが患者さんに提供出来る判断を心掛けて物事に取り組み続けました。
心に残った一言
終始、悪戦苦闘し続けて2年と1ヶ月、気がつけば忘れられない活動最終日を迎えていました。
最終日には、同僚達に対して自分の取り組んだ内容のプレゼンを行い、お別れの挨拶とお礼を伝えると共に自分の未熟さを詫びました。いつもニコニコ優しい分けではなかった自分なので、もっとあっさりとした別れになると覚悟して臨んでいただけに、突然のお別れパーティーやプレゼント攻撃がはじまり、予想外に別れを惜しんでくれる同僚ばかりで驚きました。
身に余る程のたくさんの労いの言葉を貰ったのですが、中でも一番関わりが深かった整形外科病棟の病棟師長から「あなたはいつも患者の為に一生懸命してくれた。なのに、私たちは全てには応える事が出来なかった。ごめんなさいね。でも、私たちはいつも一緒のチームよ。」と、笑顔で言ってくれた事が印象的でした。
日々の活動で、考え方や言語の壁を感じ、悶々とした想いを抱えていた自分にとって、結果は直ぐに得られなくても、取り組む姿勢から「想いは伝わる」そう最後に言ってもらえたようでした。
得たもの
JICAボランティアとしての2年1ヶ月間は、葛藤の連続でした。落ち込む事も多く、無力感を感じる事も少なく無かったです。
ですが、最後の日を迎え、同僚達から離任を惜しむ声と感謝や労いの言葉を貰ったことで、相手への敬意を忘れずに物事に正面から取り組んでいれば、必ず見ている人が居ること、そこから何かを感じる人が現れること、だから信念があるのであれば一生懸命すればいいという事を、同僚達に教えて貰いました。タンザニアでの日々を振り返ると、知らず知らずに自分が成長させて貰っていたんだと実感しました。
自分にとってJICAボランティアとしての途上国での活動は、自分と現地の人々の得意と不得意な部分を照らし合わせ、補い合い、共に学び、共に成長していける貴重な人生の経験だったと強く思います。
途上国医療が抱える課題と自分のこれから
タンザニアは国土が広い上に、貧富の差は大きく、インフラ環境はまだまだ充分ではありません。つまり、病院等の医療機関へのアクセスは容易ではありません。主な交通手段は大型バスやバイクタクシーで、事故は日常的に発生しますし、町から離れた村落では病気も重症になるまで見過ごされています。つまり、一般のタンザニアの人々にとって、健康に暮らす事は当たり前では無い事を知りました。さらに、病院に行けたとしても、物品、知識、技術とあらゆる点で不安定な医療が、充分な治療を施せることを担保していません。この状況は、タンザニアに限らず多くの途上国が現在抱えている課題だと思います。
任期を終え帰国した今、現地/現場に入り込まなければ気付かなかったこれらの課題に対して、「知った者」としての責任を持ち、これからも途上国が抱える課題の改善に取り組む為に、理学療法士として出来る事を探し、関わりを持ち続けたいという想いでいます。ですので今は、これからの自分なりの国際協力の形を模索している状況です。
期待すること
途上国が抱える課題には、広い視野でアプローチする必要があります。これは、特別な事ではなく療法士が日々の業務を行う上で求められる重要なスキルであると共に、療法士の強みであると感じます。ですので、こういった現場での活動を、今後もたくさんの療法士に行っていってもらいたい、そしてたくさんの人に理解されサポートしていってもらいたいと強く思います。
お礼
同僚だけでなく、タンザニアで出会い、たくさんの事を教えて下さった全ての人に感謝しています。
長くなりましたが、以上で私の2年1ヶ月のタンザニアでの活動紹介とします。
Kwa heri.(さようなら)
Tutaonana tena badaaye.(また会いましょう)